想・感・思
いのち…、そして優しさ
ある朝、園の職員が出勤途中、道端でうずくまる高校生を見つけた。怪我か体調不良かと気になり声をかけた。
その学生が言うには、道ばたに横たわる子猫を見つけたから大丈夫かと子猫のそばにいたとのこと。
通学途中、しかもその日はテストの日だと言う。自身にとって、そんなに大事な日にもかかわらず、立ち止まって子猫の心配をしていたのだ。
自分に引き当てて考えれば、そんな大事な日に野良猫のために立ち止まれるだろうか。思わず身が震えた。自分は見て見ぬふりをしていたかもしれないと思ったからだ。
しかし、その子は立ち止まった。自分の都合を顧みずその子猫のために。
ああ、こういう優しさの中で「いのち」は育まれてきたのだろう。
ああ、私たちはこういう優しさをどこかに置き忘れてきたかもしれない。
こうして、わたしは未来を託すことができる若者に出会えた。
こうして、わたしは優しさを学び直すことができる瞬間に出会えた。
気になるその後…
園の職員の機転のお陰で、学校へは遅刻の連絡を入れた。
子猫は動物病院へ預けられた(動物病院の先生のご対応にも感謝!)。
これまた、近くの方の好意により、その高校生へも子猫の様子が伝えられた(その子の下校時間までいてくれたのだ)。
現在、その子猫は動物病院で治療入院中(目を開けることができていた)。
そして、その子の親御さんから責任をもって子猫を預かることを告げられた(その親御さんのご対応にも感謝!)。
園では治療費に少しでも足しになればと職員がカンパ(病院では治療費にも多大なるご協力あり)。