想・感・思
優しさ、やさしさ・・・
このところのあお組さんは、“みんな少年になってきたなぁ~”って感じる。
年長児は、幼児期の完結期であるとともに、少年期のはじまりでもある。
運動会を境にして、こういうことを強く感じる。
グッと成長する時期なのか、運動会の練習をとおして、その成長を後押しするのか・・・。
伝統的に運動会が、この時期に行われるのも、そのあたりに謂われがあるのだろうか。
今年は、小学校の運動会にあお組さんが参加した。そのときに感じたことは、あお組さんが非常に幼く見えたことだ。それは至極当たり前で、5年生や6年生の児童に囲まれれば、そうならざるを得ない。
しかし、そんな彼らが、保育園での運動会に見せてくれた姿は、非常にたくましく、頼りがいのある“お兄さん、お姉さん”そのものだった。
そんな彼らを、憧れのまなざしで見つめていたのは、きい組、みどり組の面々だった。
練習中も、あお組さんに向けるまなざしは、“憧れ”“尊敬”だった。
日常、あお組さんは、そんな彼らに優しい。
“お兄さん、お姉さん”“憧れ・尊敬”に応えるかのように、“弟、妹”に優しく接している。ときには、先輩としての厳しさを見せるときもあるが・・・。
そんな彼らの姿を見て思う・・・
この幼児期の完結期、少年期の始まりのこのときに、自分が一番の年長者として、年下の“弟・妹”と関わることは、彼ら自身の育ちにとっても非常に大切なことなんだと。
上の者から“優しさ”をかけてもらうだけでは、優しさを獲得することは難しい。
“優しさ”とは・・・、優しさを与えるべき者(年下の者)との関わりの中で、獲得していくものではないだろうか。
あるいは、自分が尊敬する者が、他者に“優しく”接する姿をみて、“優しさ”を獲得していくのではないだろうか。
優しさとは、他者の気持ちに寄り添おうとする心・・・
他者の悲しさや辛さと一つになろうとする心・・・
大きくは、震災で苦しんでいる人々の存在に気づくこと・・・
身近には、友だちの涙に心を向けること・・・
人として生きていくためには、なくてはならないもの。
私たちは、いつ“優しさ”を獲得したのだろうか。親からの無上の愛は、最も大切だ。しかし、それだけでは育つことが難しいものもあるように思う。お互いに、与え与えられる関係性の中で大きく育つものもあるように思う。
駒野保育園での生活が、そういう育ちの場になっていることを常々、願っている。
投稿:
幼いながらに、自分より年上の子と、自分より年下の子と、自分の中で接し方や気持ちの持ち方が違うんでしょうね。
そーいうことを、保育園での生活で学んでくれているんだと思っています。
憧れの青組さんに少しでも近くなれるよーに…がんばってっ(^-^)
いつも、本当にありがとうございます。